FIS Ski World Cup 2001/02
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ヘルマン・マイヤーが交通事故で重傷
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Hermann Maier Web Site
hm1.com |
オリンピックチャンピオン、ワールドカップチャンピオンのヘルマン・マイヤー(AUT)が2001年8月24日(金曜日)の午後、バイクでザルツブルグ州の保養地・ラドスタットを走行中にドイツ人の運転する車を避けようとして溝に転落、右下腿骨開放性複雑骨折の重傷を負った。即ヘリコプターでザルツブルグの救急病院に運ばれ7時間に及ぶ手術を受けたが、当分の間スキーは不可能という見通しだ。南米のチリでの雪上トレーニングから帰国して2日後の出来事であった。
24日午後8時過ぎ、体力調整、コンディショントレーニングをオーバータウエルンで終了後、フラッハウの自宅に向かう途中の出来事だった。ラドスタット付近、ミュンヘンから来たドイツ人の年金生活者(73歳、男性)の運転する乗用車は国道から進入禁止の入り口を入り、迂回して国道を横切ろうとした。直進のマイヤーはこれを避けようとし、横転、道路反対側脇の工事中の溝にバイクごと飛び込み、激突した。警官の話によると、落ち込んだすぐ先には固い岩盤があり、一歩間違えば骨折程度ではすまなかったであろうということだった。
だがその骨折が半端じゃなかった。右下腿骨開放性複雑骨折、7時間にも及んだ手術は整形外科部門も複雑のみならず、筋肉にくい込んだラッカーの破片摘出、広大な創口への皮膚移植(マイヤー自身の右腕と胸部からの移植)など各専門医6名の参加で実施された。筋肉が避けるほどの複雑骨折となると、脳への影響も大きく、手術を担当した医師団の話では脳への影響を最小限に押さえるべく治療を行なった。そのために時間を要したということである。さらに歯が2本欠け、腎臓への影響も大きいという。
術後、医師団の記者会見では「術後の危険性は混合感染の場合だが、それさえなければ患者は右足の切断は免れる」。8月26日の医師団の発表は「状況は良好、感染の徴候なし(切断の要なし)、長時間の手術だったが、血栓もまったくみられなかった。予後の診断については目下は早すぎるために発表はできない」。
ちなみにヘルマンが乗っていたバイクは、2000年の最終戦(ボルミオ・イタリア)で最多得点のご褒美に貰ったDucati 900のモンスターバイクらしい。
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ジョー・シュミット(オーストリアスキー連盟広報担当)の談話。「ショックだ。治療もリハビリも長くなるだろう。OSVとしては万全の態勢で治療に当たるよう手配をしているが、オリンピックのメダル候補がこういう形でリタイアするのは非常に残念だ」。
現在は家族の面会も許されている。弟のアレックス・マイヤー(スノーボート選手)の話、「彼は疲労困憊しきっていた。そして激怒をおさえるのが大変。しかし、彼自身は今後どうやって行かなければならないかを考え始めている」。
ハンス・プム(アルペン・ヘッドコーチ)は、「チリー、ポルチーヨのトレーニングでは他を抜きん出たトップの成績を示し、体力、気力とも申し分ない出来だった。だがしかし大ショックだ」。
ハンス・クナウスの話、「ヘルマンの重症は痛ましい。だけど、彼のバイタリテイは凄まじい。常人を越える。彼は必ず復活する。そう祈る。信じている」。
ミハエル・フォン・グリュニゲン、「事故を聞いてショツクだった。早く全快してレースに出場してほしい。ああ、彼の復帰を信じるさ。どんな困難でも打ち破って立つ、そうして世界のトップに立つことを可能にしたんだ」。
長野五輪滑降のマイヤーの大転倒をオーストリア国民のだれもが忘れることはできない。しかし、ヘルマン・マイヤーは無傷で立ち上がり次の金メダルを獲得した。マイヤーは不死鳥、必ず復帰できると信じ、オーストリア国民すべてが祈っている。スキーレースを愛好する世界中のスキーファンの心も一緒である。
術後3日目をへてザルツブルグ事故クリニック/救急病院の発表ではマイヤーの状態は落ち着いて、1日に3つの専門部分によるフィジカル療法を開始した。それらはリンパ液による創部の洗浄、呼吸と筋力強化などである。なお腎障害は全くみられないが今週末まで集中治療室に留まる。マイヤーはこれらの医療処置にたいして不満はなく、すべてに感謝している。
マイヤーの治療医師団は8月28日、「状況は1日毎に良好で明確な躍進が見られる。あと3週間後には退院も可能である。骨に取り付けたメタルは早ければ1年以内に摘出可能だ。我々としては今季1シーズンの休場を勧めるが、その最終的判断はすべて本人が決めることである」。
初めて面会を許されたアルペンチーム・ヘッドコーチのハンス・プムは「非常に嬉しい驚きだつた。思ったより元気良く、少しも落ち込んではいない。マイヤー自身は早い復帰を望んでいる。多くの選手を見てきたが、メタルを入れたままでレースに出場し、トップの成績を可能にした者も大勢いるよ」。
また、スキー連盟会長のペーター・シュレックスナーデルは「マイヤーの何事にも対する闘争心の素晴らしさを十分に認め、オリンピック出場は取りやめてはいない」。
ヘルマン・マイヤーは「僕は楽観的な人間なんだ。締め出されることなんかないと思っている」と語った。
8月30日、マイヤーは集中治療室から出て一般病棟に移った。担当医はこれまでの検査は全面的にOKで治療過程は計画どうり順調に進展し、理学療法士バーバラ・ノイライターの指導のもと個人トレーニングを始める予定。「一般病棟だからといってもこれだけの大手術でマイヤーにはまだ安静が必要」との見地から、第1回目の記者会見は2日の午後に予定されている。カンバックもオリンピック出場も問題なしと、「ハーミネーター」は順調な回復ぶりを見せている。
事故から10日たった9月2日、マイヤーはベッドの上でORFのテレビインタビューに応じた。
「事故のことは記憶していない。最も重要なことは私が生きているということと、回復の途上にあるということだ」と語り、さらにカムバックへの強い意志を表明した。
H.M インタビュー
ヘルマン マイヤーの最初のインタビューはマイヤーの広い個室で行なわれORFはライブで会見の模様を放映した。皮膚を移植した右腕はシーツの下でみえないが左腕も包帯がまかれ、右肩には注射用のカニューレ(管)が取り付けられていた。顔には疲労が見られ、神経質な落ちた声での回答で、まだ、本調子とは言えなかった。
−事故についてどう考える?
H.M- なぜ事故が起こったのか、今は明確に思い出すことができないでいる。
−世界中のファンが君の事を心配している
HM-たくさんのFaxをもらった。テレグラムはまだ読んでいないものもある。支援は有り難い、自分のモチベィションができた。「これからどのようにやっていけるか」これは自分の課題だが、何よりも重要なことはそれがうまくいきつつあること、そして命が助かったことだ。
−現状からカムバックの意志は?
HM-やめることは全く考えていない。以前のような野心の塊が戻ってきている。それは必ず試みる。まずスキーを走らせ、それからは確実に弱まらずに戻ることだ」
インタビュー後、担当医師のカールバウアーは「このような大事故においては2週間は集中治療が必要、二次感染、余病の全くない状況であること。更に精神療法も重要である。ときには傷の治療よりも長引くこともある。それはマイヤーのような強靭な心身の人間であってもだ」と語った。
9月5日、ヘルマン・マイヤーのリハビリテーション・プログラムが開始された。北ドイツの機械制作者がヘルマンのために特別性のL字型ハンドル(車のクランク軸のようなもの)の上体強化エルゴメーターを開発し提供した。この費用はオーストリアスキー連盟の負担だが、多くの関係者が見守る中でテストが行なわれた。「慎重に急がずにリハビリを開始、このエルゴメーターはヘルマンの心身ともに満足した。上半身の強化についてヘルマンを知る人は、その能力を十分に発揮できることを確認した」と、治療医師団、療法士の意見。マイヤー自身はまだ相当な痛みがあるので今後1日2回の短時間トレーニングを承諾した。この日手術後初めて右足にベットの上で負荷をかけた。さらに延ばしたままで車椅子に移り、室内の運動も開始した。左腕(右腕との報道は間違い)から右足へ皮膚移植した部分は順調に接着しているが、傷の部分とスキーブーツの摩擦からヘルマンのスペシャルスキー靴も造られるかもしれない。いすれにせよマイヤーの災害保険は頭から足の指まで100万ミリオンシリングの保険がかけられていた。強靭な身体と意志、いくばくかの時間もある。マイヤーの復帰は並の人間とは異なる次元で進むのか。
9月11日、ストックの助けを借りて立ち上がったマイヤーは初めて右足への負荷を試みた。これは安全性を十分に考慮しての実施だが、マイヤーはまさしく歩行の第1歩を可能にして見せた。「移植部分の皮膚は良好な経過、ナーゲル/骨折をつないだ鋲も歩行動作における問題点はなし。退院の時期には全く依存はない」と、チームドクターのDr.Trost。
マイヤーは9月16日にザルツブルグの救急病院を退院してピッツタールにあるリハビリテーションセンターに移り、復帰に向けて本格的なリハビリを開始する。
9月14日、「ハーミネーター」はザルツブルグの救急病院を退院し、フラッハウの自宅に戻った。これから厳しいリハビリテーションに取り組む。
9月20日
ヘルマン・マイヤーはラドスタットの病院で物理療法を受けながらリハビリに励んでいる。20日には松葉杖なしで歩いた。ただし2、3歩。ドクターは「12月には雪の上に立つことが出来るだろうが、問題は皮膚移植をした右足首がスキーブーツの圧力に耐えうるかどうかだ」と語った。またヘルマンのスポークスマンは「リハビリは順調に進んでいるがソルトレークに間に合うかどうかは微妙だ」と語っている。ヘルマン自身は多くを語らないが「やるっきゃないだろう、自分のためにもファンのためにも」と意欲を見せている。
9月25日
8月24日の大事故から1カ月を経過し、ザルツブルグの救急病院(Unfall
Klinik)を退院、目下リハビリに励むスキー界のトップスター、ヘルマン マイヤーの今後やレースへの復帰について各界の関心は大きい。当初、選手生活さえ危ぶまれ心身ともに低迷したマイヤーだったが、「自分の野心、スポーツに対する名誉心は戻ってきた。自分にとっての課題は絶対に屈折しないという自分自身への勝利があるのみ」と、復帰プログラムへ向かった。マイヤーのよき友人であり、オーストリアスキー連盟のチームドクターであるA.・トロストは「いずれにしてもマイヤーは重傷を負ったことには変りはない。二次感染の危険があることはまだ予測を免れず、移植部分が何の問題のないことを仮定して4カ月後にはスキー靴を履くことが出来るだろう」と控えめな予後診断を述べる。
チーム仲間は誰もがマイヤーの復帰を信じてやまない。「マイヤーを除いて誰がそれをまっとうできるか考えつかないな。自分の知るかぎりヘルマンは最大の名誉心に燃え、それを実行してしまう男なんだ」と、ハンス・クナウス。
オーストリアスキー連盟、アルペンチーム監督のハンス・プムはマイヤーの復帰時期に関するプレッシャーをこう表現した。「今期のワールドカップ最終戦はマイヤーの自宅のあるフラッハウで行なわれる。ここで、彼は自分の選手生活終了を決めるのではないかと心配もした。今はその懸念はまったくない。そう簡単にスキースポーツから立ち去ることはないと確信できた。2002/03シーズンにおけるヘルマンの再起を期待している」。(Ski Austria 9月号より抜粋)
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王国オーストリアの暗い歴史
ヘルマン・マイヤーは溝に飛び込んだため、数センチ差で岩壁やコンクリートへの激突をさけ、死に至る事態を避けることが出来た。しかし、なぜかオーストリアスキー連盟にはこうした悲劇が連続して起きている。
本年2月、ジャンプヘッドコーチ、アロイス・リップブルガー は帰宅途中にスリップ事故で即死(運転していたのは選手のM・ヘーレワルト)。
1999年、元距離選手でサービスマンのアロイス・シュワルツルはオーストリアのアウトバーンで事故死亡。
1996年、大回転のスペシャリスト、リヒャルト・クロールは帰宅途中、大型車に衝突即死。
1991年、3個の世界選手権金メダル保持者、ルドルフ・ニールリッヒは自宅のあるサンクト・ヴォルフガング近くで大事故を起こして即死。
以上は交通事故によるものだが、もっとも痛ましい出来事はレース中の死だ。
1994年、ガルミッシュの滑降レースでウルリケ・マイヤーがレース中に転倒して首の骨を折り死亡。
1984年、シュラドミングでヨセフ・ワルヒャーはレースの前走をしていてロープウェーの鉄塔に激突して死亡。
1991年、ウェンゲンの滑降予選でゲルノ・ラインシュタドラーがフェンスに激突した際、片方のスキーが網に絡まり股が避けて死亡、などなど、思い出すだに怖じ気が走る。 |
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ヘルマン・マイヤーの今回の怪我につき、旭川市の進藤病院院長、進藤正明ドクターからのコメント
大腿骨開放骨折はここ進藤病院でも年間数例運ばれ、私自身も手術する外傷ですので、日本での標準的知見からコメントさせていただきます。
1:開放骨折とは折れた骨が筋肉、皮膚を突き破り骨折部と外界が交通した状態をいいます。問題点は骨が癒合しずら い事、感染しやすいことの他以下の合併症が考えられます。
2:骨折部から流れ出た脂肪滴が脳や肺の血管に詰まることがあります。これを脂肪塞栓(そくせん)と言い何としても避けたい致命的な病態です。ヘルマンの、脳や神経系の問題とはおそらく脂肪塞栓のことで、1週間たっても元気に会話できるなら問題ないと思います。また広範な筋肉の挫滅によりあるタンパク質が腎臓に影響し腎不全を合併することもあります。現在人工透析をしていなければこれもなかったと思われます。
3:手術時間が7時間と言うのは確かに長いですが傷を良く洗浄し細い円筒形の金属(これを髄内釘〜ずいないていと言います)を大腿骨に挿入し固定する方法を、私なら選択します。
もし骨の欠損があり腰骨(腸骨)を移植してもここまでで3時間、傷を覆う皮膚を採取し移植するのにせいぜい2時間、実質の手術時間は5時間くらいでしょうか。
4:手術が成功し、上記合併症がなければ今は車椅子か松葉杖で普通に会話できているはずです。オリンピック断念は間違いないことだと思いますが、医学的重傷度から見れば重要な神経と血管の損傷がない限り(多分ないと思う)復帰可能で、(再起不能という)報道は悲観的過ぎるかなと感じます。
アルペン界のスター選手の復帰を信じております。
進藤正明 |
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