巨星落つ

ワールドカップの父、セルジュ・ラング氏、逝去
06/Jun/1920 - 21/Nov/1999
 ワールドカップの創設者であり、長年ワールドカップの法王として君臨してきたセルジュ・ラング氏が、11月21日、バーゼルの自宅で亡くなった。79歳だった。

 当日はカッパー・マウンテン(USA)での2人のフランス人(カバニューとサイオーニ)の勝利に喜び、その記事を「ビオラマ」誌に追加したあと愛犬のバプスを伴ってステルネンベルク(星の山の意)に散歩に出かた。この日は寒い日だった。帰宅後、「ストーブのマキを取ってくる」と外に出たが、マキを掴んだまま意識を失なった。昨年の8月に再婚した妻のジョセリンさんが急遽医者を呼んだがラングの心臓は蘇ることはなかった。死因は心筋梗塞。79歳のラングは現役ジャーナリストのまま伝説の男となった。

 FIS(国際スキー連盟)会長のジャン・フランコ・キャスパー氏は
 「大ショックを受けた。彼はすばらしいアイディアを提供しただけでなく、率先して苦労を厭うことなく正面から堂々と戦い、それを飛躍させていった。その尽力には感激し感謝しています。急死の5日前に会ったときには『ワールドカップを作り出したことは自分の生涯の誇り』だと語っていた」と、その死を悼んだ。
 セルジュ・ラング氏は1920年6月6日、ミュールハウゼン(FRA)で鉄道員の子供として生まれた。20歳頃からジャーナリスト活動を始め、フランス語、ドイツ語、イタリア語、英語を駆使して一般紙の記者として活動を始めたが、1948年からスポーツ専門記者に転向。フランスのスポーツ専門紙「ル・エキップ」に署名入りで原稿を書くなど、スポーツ記者としての名声を確立。

 1966年8月11日、アルペンスキー世界選手権の行なわれていた南米チリのポルティーヨでアルペンスキー・ワールドカップを誕生させた(この辺のいきさつについては当ウェブ英語ページのラング氏自身の手になる原稿に詳しく記されている)。

 1973年から1986年までFISのワールドカップ委員会委員長として手腕を発揮、法王と呼ばれた。AIJS(国際スキージャーナリスト協会)を設立し、その会長として亡くなるまで現役だった。