WIBERG Pernilla (SWE)

Web:
1970年10月15日 Borlaenge(SWE) 生まれ
身長 161cm 体重 63kg

SKI: Rossgnol
BOOTS: Lange
BINDING: Marker


※2002年引退

Albertvill WOG92 GS/Gold
WatervillValley91 SL/1st
Watervill Valley 91 SL/1st Lillehammer OWG 94, DH/9th
Veil WM99 C/1st
'1991年、ウォータービル・バレー(USA)のスラロームでスウェーデン通算100勝目を上げたときのペルニラ・ヴィーベリ(ただし内96勝はインゲマル・ステンマルク) Vail WM 99, Combined/ 1st

PernillaFace World Cup Ranking
General

1990/45th, 1991/7th, 1992/5th, 1993/24th, 1994/2nd, 1995/6th, 1996/8th,
1997/1st
, 1998/35th, 1999/5th, 2000/33rd, 2001/59th, 2002/23rd,
Special
1991 SL/2nd,GS/3rd, 1992 SL/2nd, 1994 SL/2nd, 1995 SL/2nd,
1996 SL/3rd, 1997 SL/1st,SG/3rd. 1999 DH/14th, SG/8th, GS/22nd, SL/2nd,
2002 DH/10th, SG/13th, GS/57th,
World Championships
1991 Saalbach SL/6th, GS/1st, SG/17th.
1996 Sierra Nevada DH/21st, SL/1st, GS/18th, SG/9th, K/1st.
1997 Sestriere DH/3rd, GS/6th, SG/7th.
1999 Vail K/1st, SL/2nd, GS/4th, SG/9th, DH/18th.
2001 St.Anton SG/7th, DH/18th.
Olympic Games
1992 Albertvill GS/1st, SG/12th.
1994 Lillehammer DH/9th, SL/4th, SG/4th, K/1st.
1998 Nagano DH/2nd, SG/14th, GS/11th.
2002 Salt Lake City DH/14th, SG/12th.
World Cup - 24 w. (2 DH, 14 SL, 2 GS, 3 SG, 3 K)
1. DH: Vail 97-II, St.Moritz 2000-II ,
SL: Bad Kleinkirchheim 91, Watervill Valley 91, Steamboat 93, Veysonnaz 94,
Morzine 94, Lenzelheide 95, Semmering 96-I, Veysonnaz 96, Semmering 97-I,
Maribor 97, Zwiesel 97, Mammoth Mtn.97, Vail 97, Maribor 99.
GS: Lake Louise 91, Narvik 92.
SG: Cortina 94-II, Lake Louise 97, Bad Kleinkirchheim 97.
K : Sierra Nevada 94, Lenzerheide 94, Laax 97.

 1999年2月、アメリカ・コロラド州、ヴェイルで行なわれたアルペンスキー世界選手権で、ペルニラ・ヴィーベリはコンビで金メダル、回転で銀メダルを獲得した。彼女にとってはオリンピックと世界選手権のビッグイベント6個目の金メダルである。
 
 ペルニラがワールドカップにデビューしたのは18歳の冬、1988年12月、バルゾルダーナ(ITA)の大回転で21位だった。続く89/90シーズンは地元スウェーデンのヘムダーレンのスラロームで5位に入り、続くオーレのスラロームで3位に入賞し初めてワールドカップの表彰台に立った。そして90年12月、バド・クラインキルヒハイム(AUT)のスラロームでついにワールドカップ初優勝を上げた。このシーズン、ザールバッハ・ヒンターグレム(AUT)で行なわれた世界選手権の大回転で金メダルを獲得し、一躍シンデレラガールとして脚光を浴びた。さらに3月ウォータービルバレー(USA)で行なわれた最終戦の回転でワールドカップ2勝目を上げた。これはスウェーデンの通算100勝目の勝利でもあった(ただし内86勝はインゲマル・ステンマルクである)。

 と、ここまではペルニラのスキー人生はまるで順風満帆かに思われる。だがトップを維持し続けるには彼女は怪我との戦いに明け暮れなければならなかった。彼女はこれまでに3回大きな怪我をしている。最初のそれは初優勝を上げる前の89年3月の膝の靱帯、93年1月のアキレス腱断列、そして97年10月には順調な仕上がりを見せていたゼルデン(AUT)で右膝の靱帯を引きちぎっている。その怪我の合間を縫ってペルニラはビッグイベントのメダルハンターとしてその名を定着させた。

 92年アルベールビル(FRA)五輪では大回転で金、94年リルハンメル(NOR)五輪ではコンビで銅、96年シエラ・ネバダ(SPA)世界選手権では回転とコンビで金、97年セストリエール(ITA)世界選手権では滑降で銅、98年長野オリンピックでは滑降で銀メダルを獲得した。またワールドカップではこの間通算19勝をあげている(滑降1、回転13、大回転2、スーパーG3、コンビ3)。そして96/97シーズンにはワールドカップ総合のタイトルをも獲得しているのである。
 
 彼女は97年10月の怪我以来一度も表彰台の中央に立たないシーズンを過ごした。この間チームメイトで親友のイルバ・ノーウェンが97/98シーズンのスラローム・タイトルを獲得するなど、ペルニラの存在は歴史の中に埋没してしまったかに思われた。
 だが'99シーズン、復帰した「ピラ」は11月29日、レーク・ルイーズ(CAN)のスーパーGで2位、12月18日、ベイソンナ(SUI)の滑降で2位、12月28日センメリング(AUT)の回転で3位、そして年明け早々、1月3日にマリボール(SLO)で行なわれたスラロームで1年ぶり、20回目の勝利を上げたのである。

 ペルニラ・ヴィーベリは幾つかの顔を持っている。スウェーデンの中ではベスト・スポーツ・ウーマンにランクされているし、ステンマルクがそうであったように、ヨーグルトメーカーなど多くのメーカーともスポンサー契約を結んでいる。だがなんと言っても彼女をスウェーデンの若者に強く印象付けたのはシンガーソングライターとしての「ピラ」であろう。ビデオクリップで見る「ピラ」はまるで別人のように艶やかで美しい。

 彼女は現在スウェーデンチームから離れ、ポーランド人でありノルウェーチームのフィジカルコーチを務める、ボドバーとともにモンテカルロに住み、コートダジュールでトレーニングに励む。モンテカルロに住むのはステンマルクがそうであったように税金対策であろう。
 ペルニラは2002年、ソルトレーク・シティ(USA)までレースを続けると明言している。

 2001年3月に一度は引退をほのめかしたペルニラだったが、2002シーズン、再びピステに姿を現わした。だが一度も表彰台に上がることなくシーズンを終了した。ソルトレーク五輪にも出場したがメダルには届かなかった。ペルニラは、まだ止めないと彼女自身のウェブサイトで明言している。


 「Fiftyeight times on the winners' rostrum in the World Cup - and nine times at the Olympics and the World Championships. Of course, I'm fantastically satisfied with my career to date but am far from ”finished” - I want more.」

Biorama Basel