SKI&SKI Top

SEIZINGER Katja (GER)

1972年5月10日 Eberbach(GER)生まれ
身長 171cm 体重 64kg

SKI: Völkl
BOOTS: Raichle
BINDING: Marker


※1999年4月 引退
Seizinger. Lake Louise 98 DH/1st Seizinger. Lake Louise 98 SG/1st
Lake Louise 98 DH/ 1st Lake Louise 98 SG/ 1st
Seizinger. Tignes 93 DH/2nd Seizinger. Hafjell 93 DH/1st
Tignes 93 DH/2nd Hafjell 93 Pre Olympic DH
Seizinger. Lillehammer OWG94 DH/1st
Lillehammer OWG 94 DH/ 1st

Seizinger. 1998 Overall Champion World Cup Ranking
General

1990/44th, 1991/15th, 1992/3rd, 1993/2nd, 1994/3rd, 1995/2nd,
1996/1st
, 1997/2nd, 1998/1st
Special

DH:1992/1st, 1993/1st, 1994/1st,1998/1st,
SG:1993/1st, 1994/1st, 1995/1st, 1996/1st, 1998/1s
t
World Championships
1993 盛岡・雫石 SG/1st, 1996 Sierra Nevada DH/2nd
1997 Sestriere SG/2nd, K/2nd
Olympic Games
1992 Albertvill SG/3rd,
1994 Lillehammer DH/1st
1998 長野 DH/1st, K/1st, GS/3rd
World Cup - 36 w. (16 DH, 16 SG, 4 GS)
1. DH: Montafon 92, Morzine 92, 93, Vail 92, 94, Cortina 93-II , 94,
Veysonnaz 94, Whistler 94,  St.Anton 94-I , Val d'Isere 96, 98,
Lake Louise 97, 98-I+ II , Are 98
SG: Sta Caterina 92-I, Lake Louise 93, 95, 98, Are 93, Cortina 94-I, 98,
Mammoth 94, 97, 98, Bormio 95, Garmisch 96, Var d'Isere 96-I+II ,98,
Vail 97-II .
GS: Kloevjoe 93, Maribor 96-II, Lillehammer 96, Soelden 97

 カチャ・ザイチンガーは1972年5月10日、スキーとはあまり縁のない北ドイツのルール地方にあるエベルバッハに生まれた。父親はこの町で鉄鋼関係の会社を経営していた。近くにスキー場はなかったが、両親に連れられて毎年、フランス・サボワ地方のトロワ・バレーでバカンスを過ごしてスキーを覚えた。やがてスキーに特別の才能を見せるようになり、88年(15歳)からドイツ南部、オーストリアとの国境地帯にあるホーヘンシュバンガウの「スキーイング・ボーディング・スクール」に入学し英才教育を受けた。

 1989年(16歳)、アリエスカ(USA)で行なわれたジュニア世界選手権スーパーGで2位、大回転で3位に入り西ドイツ(当時)ナショナルチーム入りを果たした。翌90年、ツィナル(SUI)で行なわれたジュニア世界選手権ではスーパーGで優勝、滑降と大回転で2位という成績を収め、この年からワールドカップにデビュー。そして2月11日、メリベル(FRA)のスーパーGでルーキーながらいきなり2位に入り脚光を浴びる。初優勝は1991年12月7日、サンタ・カテリーナ(ITA)のスーパーG。そのときはウルム大学経済学部に籍を置く19歳の学生だった。この年滑降で3勝、スーパーGで2勝を上げ、ワールドカップ総合で3位、滑降の総合タイトルを獲得し、トップ戦線に躍り出たのである。

 1997/98シーズンのザイチンガーは、緒戦のアメリカシリーズから快調に飛ばし、高速系で6連勝という偉業を成し遂げた。長野への抱負を聞かれた彼女は「私はすでにオリンピックのチャンピオンだから(94,リルハンマー滑降)目標はワールドカップの総合タイトル。長野に関してはさほど神経質になることもない」と言った。長野オリンピック前にも2勝を上げ、1966年以来2年ぶり2回目の総合優勝に輝いた。

 1997/98期は滑降4勝、スーパーG4勝の計8勝を上げワールドカップ通算成績を36勝へと伸ばし、これはアンネマリー・モザー・プレル(AUT)の62勝、フレニ・シュナイダー(SUI)の55勝に次ぐ歴代3位の記録である。種目別でも滑降とスーパーGのタイトルを獲得、さらに長野オリンピックでは滑降とコンビで金メダルを獲得し、今まさに女子最強のレーサーである。

 1998年の夏彼女はトレーニング中に靱帯を損傷する怪我を負った。従って彼女が好きなパラシュートもこの夏はできなかった。これは彼女が大学を卒業するためには良いチャンスになったのかもしれない。その怪我の事後経過はあまりよくない。10月24日のソールデン(AUT)でのワールドカップ98/99開幕戦には出場できなかった。ドイツチームの医師によると98/99シーズンの出場は絶望的らしい。

 アルベルト・トンバ(ITA)とカチャ・ザイチンガーは、スキーにはあまり縁のない都会地の出身者でもスキーの世界チャンピオンになれるという良い見本を示している。


※1999年4月23日突然引退
 ザイチンガーはドイツ女子チームがトレーニングを行なっていたオーストリアのゼルデンで23日突然引退を発表した。昨年夏イタリアで行なわれていた夏期トレーニングで膝を痛め、98/99シーズンを欠場した。シーズン開始前にチームドクターは「問題は彼女のモチベーションである」と、暗に意欲の低下をほのめかしていたがそれが現実のものになった。トレーニングに参加のためゼルデンに来ていたわけだから、幾分やる気はあったのだろうが、何が彼女を豹変させたのか。1993年にやはり突然引退したペトラ・クロンベルガー(AUT)を彷彿させる。要するに「スキーだけが人生ではない」という考え方である。大黒柱を失ったドイツチームはショックを受けている。
 「世界選手権の金メダル('93年・盛岡・雫石、スーパーG)とオリンピックの3個の金メダル('94年・リルハンマー・滑降、'98年・長野・滑降・コンビ)、そしてワールドカップの総合優勝('96年、'98年)が大きな思い出であり、私の人生のハイライトだった」と述べた。26歳。