SCHNEIDER Vreni (SUI)

1964年11月26日 Elm(SUI)生まれ
身長 172cm 体重 70kg

SKI: Rossignol
BOOTS: Raichle
BINDING: Tyrolia


※1995年引退

Tignes (FRA) GS / 1st
Val Zordana (ITA) 89 GS / 1st
Shiga Kogen (JPN) 89 SL / 1st
Park City (USA) 90 SL / 1st

Calgary OWG SL,GS Gold
WCup 95 Overall Champ

World Cup Ranking
General

1985/9th, 1986/3rd, 1987/2nd, 1988/5th, 1989/1st, 1990/6th,
1991/3rd, 1992/4th, 1993/6th, 1994/1st, 1995/1st.
Special
1985 GS/3rd, 1986 GS/1st, 1987 GS/1st, 1988 SL/2nd,GS/3rd,
1989 SL/1st,GS/1st,1990 SL/1st, 1991 GS/1st,
1992 SL/1s
t,GS/2nd, 1993 SL/1st, 1994 SL/1st,GS/2nd,
1995 SL/1st, GS/1s
t
World Championships
1987 Crans Montana GS/1st, SG/4th, K/4th.
1989 Vail GS/1st, SL/2nd, K/2nd
1991 Saalbach/Hinterglemm SL/1st, K/3rd, GS/7th.
Olympic Games
1988 Calgary SL/1st, GS/1st.
1992 Albertvill SL/7th,
1994 Lillehammer SL/1st, GS/3rd, K/2nd.
World Cup - 55 w. (20 GS, 34 SL, 1 K)

1. GS: St.Caterina 85,91, Watervill Valley 85,86,87, Maribor 86, Oberstaufen 86,92,
Saalbach 87, Megeve 87, Sarajevo 87, Tignes 88,89, Les menuiles 89,
Valzordana 89, Mellau 89,89, Furano 89, Shigakogen 89, Kranjska Gora 91, 
Vail 91
SL: Courmayeur 87,89, Mrgeve 87, Badgastein 88, Altenmarkt 89,94,
Maribor 89,90,92,93,94, Mellau 89, Grindelwald 89, Furano 89,
Shigakogen 89, Park City 90,95, Piancavallo 90, Hinterstoder 90,
Are 90,93, Lake Louise 91, Narvik 92, Cortina 93, Vemdalen 93, St.Anton 94,
Sierra Nevada 94, Mammoth 94, Vail 91,94, Sestriere 95, Bormio 95.
K : Altenmarkt 89.

 ワールドカップ参戦11年間で優勝回数55回。ワールドカップ総合優勝3回。種目別の優勝10回。オリンピックの金メダル3個、世界選手権の金メダル3個。彼女を"女傑"と呼ばずして何と呼ぼう。ワールドカップの55勝は男女併せても歴代3位(1位・ステンマルク86勝、2位モザー・プレル62勝)の記録である。金メダルの数はダントツで1位。まさにピステを怒濤のように荒らし回ったフレニであった。アルベルト・トンバ(ITA)が2冠に輝いた1988年カルガリーオリンピック。フレニもまたこのオリンピックで回転、大回転の2種目で金メダルを獲得した。また彼女のこのほかにギネスブックに載っているレコードは年間最多優勝15勝。1989シーズンに達成したもので、インゲマル・ステンマルクが1979年に達成した大回転10戦全勝を含む13勝を抜いた。

 フレニは回転、大回転の技術系のスペシャリストだったが、3回目の総合タイトルを獲得した1995シーズンは、総合タイトルを勝ち取るために意欲的に高速系にもチャレンジし、ザールバッハ(AUT)の滑降で8位、ボルミオ(ITA)の滑降で9位という成績を収めている。この滑降のポイントが功を奏し、わずか6ポイント差でカチャ・ザイチンガー(GER)を2位に追いやって優勝を飾ったのである。シーズンが終わった4月19日に突然の記者会見を行ない、11年間のワールドカップ生活にピリオドを打った。「体力の衰えは感じていません。最高の状態で引退を決めました。疲れ切るまで選手生活を続けるより、人生の他の部分にも今のエネルギーを注ぎたいと思ったのです」と、引退の弁を述べた。

 フレニ・シュナイダーは1964年11月26日、スイス中央部の小さなカントン(県)グラルスの山間のエルムで、靴職人の娘として生まれた。ワールドカップ初出場は1983年12月、バルディゼール(FRA)の大回転だが、優勝したエリカ・ヘス(SUI)に7秒24遅れの28位だった。翌1984年12月、サンタ・カテリーナ(ITA)の大回転で、ワールドカップ7戦目にして初優勝を決めた。その後の彼女の活躍は”女傑”、”女王”の尊称にふさわしく数々のタイトルを手中に収めた。

 引退後は現役時代のスポンサーのセールスプロモーションをはじめ、二つのスポーツショップを経営、さらにフレニ・シュナイダー・レーシングスクールで後進の指導に当たっている。1999年8月7日結婚。

フレニ・シュナイダー(スイス)が華燭の宴

[08,Aug,1999. Kiyoko Hata, Switzerland]
スラローム女王が鳴らしたウェディング・ベル

 1999年8月7日、スイス・グラルス州・エルムの教会で、現役時代は「女傑」と呼ばれたフレニ・シュナイダー(34歳)が結婚式を挙げた。相手はマルセル・フェスラー(30歳)、スキー競技とは無縁の塗装業の青年である。
 フレニはワールドカップ通算55勝、総合優勝3回、オリンピック、世界選手権で獲得したメダルは9個と11年間にわたり「白いサーカス」に君臨、95年3月に引退した。二つのスポーツショップとレーシングスクールを持ち、おそらく結婚することもないだろうと、新築した家は自分一人用の設計だったのだが...........

 フレニの「理想の男性」との出会いは一杯のコーヒーから始まった。
 昨年の春、仕事でエルムにやってきたマルセルはフレニの姉が経営するレストランで同僚と食事、ちょうど居合わせたフレニに稲妻が走った。エルムの村では見かけない長身、スポーツマンタイプで翠色の瞳にはっとなる。女王のアタックは早かった。コーヒーを盆に乗せ「私からのサービスです」とにっこり。驚いたマルセルと同僚だったがこれには大喜び。後日マルセルはお礼の電話をかけようとしたが、有名スポーツ選手の番号は電話帳に載っていなかった。手紙で礼状と食事の招待状を送った。「とても嬉しくて何を着て行こうかと何回も考えた」フレニだったが「ああいう人がエルムなんかに来てくれるはずがない」という心配も大きかった。まるで一昔前のような恋物語である。スポーツと自然を愛する二人は1年間の交際のあとハッピーエンドを迎えた。マルセルは現役時代のフレニのレースはテレビでしか見たことがなかったが、いずれはインストラクターの資格を取ってフレニのレーシングスクールの助手も務めるということである。