NADIG Marie-Therese (SUI)

1954年3月8日 Flums生まれ
SKI: Spolding →Blizzard

※1982年引退

Nadig_Gtrindelwald75 Nadig_Pfronten80
Grindelwald 75 DH/2nd Pfronten 80 DH/1st
Nadig_Aspen76
Aspen 76 Furano 79 DH/1st

1981-OverallChampion
1981年総合優勝のナディックと
フィル・メーア

World Cup Ranking
General

1972/5th, 1973/17th, 1974/6th, 1975/4th, 1976/14th, 1977/6th, 1978/10th,
1979/5th, 1980/3rd, 1981/1st.
Special
1972 DH/3rd, 1974 DH/2nd, 1975 DH/3rd, 1977 DH/3rd, 1978 DH/3rd,
1979 DH/3rd,GS/4th, 1980 DH/1st,GS/2nd, 1981 DH/1st,GS/2nd.
World Championships
1974 St.Moritz DH/5th.
1978 Garmisch DH/4th.
Olympic Games
1972 Sapporo DH/1st, GS/1st.
1976 Innsbruck GS/5th.
1980 Lake Placid DH/3rd.
World Cup -24 w. (13 DH, 6 GS, 5 K)
1. DH: Innsbruck 75, Jackson Hole 75, Val d'Isere 77,79,80,
Piancavallo 79,80, Zell am see 79, Pfronten 80, Arosa 80,
Badgastein 80, Crans Montana 81, Megeve 81,
GS: Furano 79,79,81, Val d'Isere 79, Limone Piemonte 80, Maribor 81.
K : Crans Montana 77, Val d'Isere 78,79,80, Piancavallo 80.

 マリーテレーズ・ナディックは18歳の冬、1972年2月5日、札幌オリンピックの滑降で金メダル最有力候補と見られていたアンネマリー・プレル(AUT)を2位に押しやって優勝した。優勝した18歳の娘はこのシーズン初めて滑降、大回転の第1シードになったばかりで、この日までワールドカップではまだ1勝もしていなかった。

 スイス中央部ザンクト・ガーレン州の高地出身のマリーテレーズのそれまでの最高位はグリンデルワルド(SUI)で行なわれた滑降の2位であった。それまでワールドカップを支配してきたオーストリア、そしてフランスの選手達は若干注目はしたのだが、誰もがこの若いスイスの小娘がこともあろうにオリンピックで勝ってしまうなどとは考えもしなかった。しかし一部のエキスパートそしてスイスのトレーナーはある程度の予想は立てていた。それは「ナディックの感覚と能力は、新雪を踏み固めたピステにおいて素晴らしい効果を発揮するであろう。恵庭の雪の状態はまさにそうした状態にあるという調査結果がある以上、プレルをあるいはナディックが脅かす可能性がある」という考えである。しかし彼女はそのような事実はまったく知るよしもなかった。「私はまったく知らなかった。第一その前に日本に行ったこともないし、それが私向きの雪だなんて誰も私には言わなかった。札幌オリンピックに向かった空の旅はなんといっても生まれて初めての飛行機だった」。

 ナディックはワールドカップ生活の全てをアンネマリー・モザー・プレル(AUT)との葛藤に費やした。最初は敵対しやがて良きライバル同士になるのだが、プレルがいなかったらナディックの選手生活は多分つまらないものになっていただろう。プレルをうち負かすことがナディックのモチベーションを刺激し、またプレルの闘争心をも刺激したのである。プレルを負かすことがナディックの全てであった。ナディックは1979年、富良野の大回転で2位のアンネマリーに5秒20もの大差をつけて優勝した。これは決して破られることはないであろうレコードである。プレルは1980年、ナディックに打ちのめされたサッポロから8年後、レーク・プラシッド(USA)五輪の滑降で金メダルを獲得しナディックに借りを返した。だが「これでレースに未練はない」と即引退した。プレルのいない1981年はナディックにとって惰性で過ごしたシーズンだったが、だがこのシーズンはナディックベストのシーズンになった。滑降と大回転で7回優勝し、そして27歳にして初めての総合優勝をも勝ち取った。

 引退後は故郷のフリムサーベルグでレーシングスクールを開校し、かたわらスイスチーム、リヒテンシュタインチームのコーチを務めている。スイス男子チームのヘッドを務めるテオ・ナディックは実兄である。