COMPAGNONI Deborah (ITA)

Web Site
1970年6月4日 Sta Caterina V.SO.(ITA)生まれ
身長 165cm 体重 62kg

SKI: Dynastar
BOOTS: Lange
BINDING: Look


※1999年 引退

Vald'Isere88 GS/1st Tignes96 SL
Val d'Isere 98 GS/1st Tignes 1996
Solden99 GS/3rd
Soelden 99 GS/3rd Park City 99 GS
Valdisere88 GS/1st
Nagano98 OWG SL/ 2nd

World Cup Ranking
General

1988/40th, 1989/-, 1990/52nd, 1991/57th, 1992/11th, 1993/11th,
1994/6th, 1995/12th, 1996/22nd, 1997/4th, 1998/4th, 1999/22nd.
Specisal
1994 GS/3rd, 1997 GS/1st, SL/3rd, 1998 GS/1st.
World Championships
1987 Crans Montana DH/26th, SG/31st.
1989 Vail SG/21st.
1993 Morioka/shizukuishi GS/5th.
1996 Sierra Nevada GS/1st.
1997 Sestriere SL/1st, GS/1st.
1999 Vail GS/7th, SL/8th
Olympic Games
1992 Albertvill SG/1st.
1994 Lillehammer GS/1st, SL/10th, SG/17th.
1998 Nagano GS/1st, SL/2nd.
World Cup - 16 w. (13 GS, 1 SL, 2 SG)
1. GS: Tignes 94, Veysonnaz 94, Morzine 94, Haus 95, Narvik 96,
Zwiesel 97-I+II , Cortina 97, Vail 97, Park City 98, Tignes 98,
Val d'Isere 98, Bormio 98.
SL: Semmering 97 II ,
SG: Morzine 92, 93

 1998年長野オリンピック女子大回転で金メダルを獲得したデボラ・コンパニオーニは、イタリア女性で二人目のアルペン競技のオリンピック・ゴールドメダリストである(もう一人は'84年サラエボの回転で優勝したパオレッタ・マゴーニ)。6年前のアルベールビル(FRA)ではスーパーGで、4年前のリルハンメル(NOR)では大回転で金メダル。オリンピックで3回連続での金メダル獲得は女性としては初めての快挙である。「女トンバ」とも呼ばれているが、今やトンバを超えてイタリアが誇るもっとも偉大なアルペンレーサーになった。

 '97年10月24日、ティーニュ(FRA)で行なわれた97/98シーズンの開幕戦で、通算10勝目の大回転優勝を飾り、96年のナルビック(NOR)から続いている大回転の連勝記録を6に伸ばした。この記録は1月6日のボルミオ(ITA)での9まで延ばした。

 デボラは怪我の多い選手だった。92年2月18日、アルベールビル五輪のスーパーGで金メダルを獲得した翌日、大回転レースの1本目で左膝の靱帯を断裂して途中棄権した。その時メリベルの山にこだましたデボラの悲鳴は多くの人々に強い印象を刻みつけた。

 デボラが初めてビッグレースのピステに登場したのは1985年、彼女の生地サンタ・カテリーナで行なわれた世界選手権女子大回転の前走としてであった。翌86年、バド・クラインキルヒハイム(AUT)でのジュニア世界選手権の滑降で3位に入り、さらに翌87年、レークプラシッド(USA)のジュニア世界選手権の大回転で優勝した。翌87/88シーズンからイタリアの高速系のエースとしてワールドカップに参戦、バルディゼールの滑降で48番スタートから4位に飛び込んで一躍脚光を浴びた。だが、いきなりの大怪我で戦線を離脱、以後怪我や健康上の理由で多くの時間とエネルギーを費やすことになる。彼女の初優勝は92年1月26日、モルジン(FRA)のスーパーGだが、期待されてワールドカップに登場してから4年の歳月が流れていた。その23日後にアルベールビルで金メダルを獲得したのである。

 '96年のシーズン前、デボラはプライベートチームを結成した。コーチはトンバのデビュー時の専任コーチだったティノ・ピエトロジョバンナ。デボラと同じサンタ・カテリーナの出身で70年代に活躍したイタリア代表のオリンピック選手である。デボラの兄のユリがマネージャーを努め、さらにフィジカル・セラピストと、イタリアのマスコミに悪名高い「ベネトン」のアレッサンドロ・ベネトンを加え、デボラ・コンパニオーニは史上最強のプライベートチームを作ったのだが。

 デボラは1999年3月13日、最終戦の行なわれていたシエラ・ネバダ(SPA)で引退を発表した。