WALCHER Josef (AUT)
1954年12月8日 Schladming生まれ
身長 177cm 体重 76kg

SKI: Kastle
BOOTS: Dinafit
BINDING: Tyrolia


※1983年引退、1984年事故死

Kitzbuhel78 DH/1st Wengen80 DH
1978年、キッツビューエル2連勝した時のワルヒャー 1980年、ウェンゲン
Kitzbuhel78
Kitzbuhel '78 Double Win

Garmisch WM78 DH/1st
Garmisch WM78 DH/1st
World Cup Ranking
General

1973/28th, 1974/29th, 1975/23rd, 1976/30th, 1977/8th, 1978/7th,
1979/39th, 1980/22nd, 1981/41st, 1982/50th,
Special
1977 DH/2nd, 1978 DH/2nd
Olympic Games
1976 Innsbruck DH/9th
World Championships
1978 Garmisch Partenkirchen DH/1st
World Cup - 5 w. (5 DH)
1. DH: Morzine 77-II, Heavenly Valley 77-I, Kitzbuhel 78-I+ II ,
Val Gardena 79.
2. DH: Val Gardena 77 II, Morzine 77 I, Wengen 80 I,
3. DH: Zell am See 74, Garmisch 75, Kitzbuhel 76, Val d'Isere 78,
4. DH: Val d'Isere 75, Wengen 77,
5. DH: Wengen 80 II, St.Anton 81,

 シュラドミング(AUT)生まれのヨセフ・ワルヒャーは1978年のシーズン、バル・ガルデナ(ITA)の滑降で勝ったあと、2戦あったキッツビューエル(AUT)「ハーネンカム」の滑降に2連勝、そしてこの年ガルミッシュ(BRD)で行なわれた世界選手権の滑降で金メダルを獲得した。彼の悲劇はサラエボ・オリンピックの年、1984年に起こった。この年は彼のライバル、フランツ・クラマー(AUT)が劇的な復活を果たした年だった。オリンピック前のハーネンカムで優勝したクラマーが皆の祝福を受けているときに悲報が伝えられた。この年チームから外されたワルヒャーが、地元・シュラドミングの草レースの前走を行なっている際にロープウェーの鉄塔に激突して死亡したというその知らせは、キッツビューエル中を凍り付かせた。誰もが耳を疑った。起きてはならぬ事故だった。キッツビューエルの名物アナウンサー、ミハエル・ホルンの「オー、セップ.......」という悲痛な叫びが静まりかえったシュトライフにいつまでも尾を引いていた。