WEIRATHER Harti(AUT)

1958年1月25日 Reutte-Wangle(AUT)生まれ


SKI: Fischer

※1987年引退

Schladming WM82 DH/1st
Schladming 1982 WM-DH 1st

World Cup Ranking
General
1979/53rd, 1980/15th, 1981/8th, 1982/10th, 1983/13rd, 1984/27th, 1985/54th,
1986/83rd,
Special
1981 DH/1st, 1982 DH/3rd, 1983 DH/3rd,
World Championships
1982 Schladming DH/1st,
1985 Bormio DH/17th.
Olympic Games
1980 Lake Placid DH/9th
World Cup - 6 w. (6 DH)
1. DH: Var Gardena 80, St.Anton 81, Aspen 81, Wengen 82, Kitzbuhel 82,
Piz Ragalb 82,
2. DH: Lake Louise 80, Kitzbuhel 80, Val Gardena 80, Wengen 81,
Aspaen 81,82,  Schladming 83
3. DH: Garmiscu 81,82, St.Anton 83, Val d'Isere 83,

 1982年、オーストリアのシュラドミングで開催された世界選手権は、オーストリアチームが絶不調で迎えた世界選手権だった。エリカ・ヘス(SUI)の三冠(女子GS、SL、コンビ)、インゲマル・ステンマルク(SWE)やフィル・メーア(USA)の活躍の陰で、オーストリアはチーム崩壊の危機にさらされていた。そんな状況を救ったのがハルティ・バイラーターのたった一つの金メダルだった。

 オーストリア国民のいらいらはつのるばかりだった。1月28日にレースが始まってからというものオーストリア選手はことごとく敗れ去っていた。小さな国ではあるがオーストリアはアルペンスキーのメッカ。いままで数々の栄光と伝統を担ってきた、国の経済を支えるとまで云われるスキーでのこのありさま。しかも世界選手権は自分の国で行なわれているというのに。
 全国から集まった大会関係者も、地元の人たち、観戦客もシラケ切っていた。ゴールで両手を突き出して歓喜し、表彰台でにこやかに金メダルをかかげるのは、遠い、別な国から来た選手たちばかりだ。
 残るは男子滑降と回転だけになった。回転に望みはない。期待出来るのは滑降のみだ。男子滑降は悪天候が続いたせいで、開幕当初に行なわれる予定が最後まで延び延びになっていた。このことが選手たちに重いプレッシャーとしてのしかかっていた。

 2月6日男子滑降。オーストリア国民の熱い視線が集まる。名将の誉れ高いチャーリー・カーはこのシーズンを最後に引退を決めていた。敗残の将として引退するのか、数々の栄光を勝ち取った栄光の名将として引退するのか、全てはこのレースにかかっていた。チャーリーはこのレースに帝王フランツ・クラマー、レオンハルト・シュトック(80年レークプラシッド五輪金メダル)、ペーター・ビルンスベルガー(同銀メダル)、ハルティ・バイラーター(81年ワールドカップ滑降総合優勝)、そして急上昇の新鋭アーウィン・レッシュと錚々たるメンバーを送り込んだ。
 だが強敵もめじろおしだ。「クレージーカナック」のスティーブ・ポドボルスキー、ケン・リードをはじめ、スイスの弾丸ペーター・ミューラー、コンラッド・カトメン、トニー・ビュルグラーなど誰が勝ってもおかしくない。
 トレーニングランでこの年復活したクラマーが好タイムをだす。地元の新聞の一面に金メダルに手を伸ばしたオーストリア国民が「フランツー」と叫ぶマンガまで登場し、ヒステリックなほどに盛り上がっていた。だが、そのクラマーがレース前日、練習で大転倒してしまった。胸や首を打ち、どうなることかとやきもき。
 2月6日の朝、シュラドミングは大群衆で埋まった。特別列車などで到着したファンは7万人。アルペン史上最大の人数に、ピステは恐ろしいほどの熱気につつまれた。
 数日前から口数の少なくなった各国の選手たちは黙りこくってスタート台に向かった。
 最初にスイスのカトメンがピステに飛び出した。1分55秒58。これはトレーニングタイムを2秒以上も上回る良いタイムだ。2番目、どよめきの中をレッシュが斜面を疾走していったが、ゲートにストックをぶつけ大きくバランスを崩してしまい追いつけない。ミューラーもビュルグラーもダメ。
 7番目のクラマーは前日の負傷がたたってかタイムが伸びない。シュトックはさらに悪い計時が出た。7万観衆の失望のため息がピステをおおう。
 その落胆を切り裂くように11番スタートのバイラーターが来た。切れの良い素晴らしい滑りだ。1分55秒10。カトメンのタイムを0秒48破った。ウォーンという大喚声がピステを揺るがす。あとはカナダ勢を待つだけ。だがポドボルスキーもリードも普段とは打って変わってテールがズルズルと流れた。
 かつぎ上げられるバイラーター。澄んだ眼、白い歯。彼の言葉がレースのすべてを物語っている。
「スタート台に立った時、まったく知らない世界だった。観衆のどよめきが、僕のヘルメットを通して聞こえてきた。もう何も感じなかった。今日、自分に言い聞かせた。”これは他のレースと同じなんだ”と。朝、目が覚めたとき、窓を見たらきれいな青空だった。速いレースになると思った。スタートのとき、レッシュが消え、カトメンがトップなのを知った。せいいっぱいアタックする必要があるとそのとき感じた。自分が速く走っているのを感じていた。選手というのはカーブを出るとき、スキーを引っ張るときにそれを感じる。ただ先に滑った選手たちよりも外のコースを滑っていたので不安にかられた。自分に言い聞かせながら滑った。”オレはもっと速い。速い。勝てるんだ”って」
 ハルティ・バイラーター。24歳の男が出した平均時速106・37キロがオーストリアを救った。

 バイラーターは78/79シーズンにワールドカップにデビューし、87年に引退するまでワールドカップ滑降で6勝を上げた。引退後はリヒテンシュタインの名花ハンニ・ウエンツェルと結婚し、現在は選手たちのプライベート・スポンサーを斡旋するエージェントを作って夫婦ともども活躍している。したがってワールドカップの舞台でいつも顔を合わせる。彼のにこやかな笑顔は今でも現役時代とちっとも変わっていない。