TSYGANOV Valery (SOV)
1956年4月10日 Monchegorsk生まれ

SKI: Rossignol

※1985年引退


Wengen81 DH
Wengen 81 DH/5th

World Cup Ranking
General

1979/68th, 1980/28th, 1981/19th, 1982/39th, 1983/-, 1984/79th, 1985/-.
World Championships
1982 Schladming DH/18th.
Olympic Games
1980 Lake Placid DH/8th.
World Cup - 1 w.
1. DH: Aspen 81.
4. DH: St.Moritz 80.
5. DH: Wengen 81.
K : Val Gardena 79, Val d'Isere 79, Kitzbuhel 81, Aprica 81.
8. DH: Pla-Loup 80, Aspen 82, Wengen 84.
9. DH: Kitzbuhel 82.
10. K : Val gardena 80.

 旧ソビエトのレーサーがワールドカップに登場して来たのは1970年代の後半である。75年12月、バルディゼール(FRA)で滑降のスタートリストの最後のほうに、「SOV」という国名の入った選手の名前を見つけたときは「えっ、本当に、なにこれ」といった感想を誰もが持ったものだ。当初「お客さん」程度の認識しかなかったソビエトチームが第3勢力としてワールカップを席巻したのは80年から82年までの3年間だけだった。

 最初にワールドカップのランキング入りを果たしたのはウラジミール・マケーエフだった。1978年12月、シュラドミング(AUT)の滑降で27番スタートからいきなり3位に飛び込んできて世間をあっといわせた。スポーツ強国ソビエトが本格的に強化に乗りだせば、アメリカの活躍を見るまでもなく恐ろしい存在になる。マケーエフの3位で選手たちはいやな予感にとらわれたことだろう。彼は次のバルガルデナの滑降でも6位を確保した。

 1980/81シーズン、ソビエトチームは一気に爆発した。「ソビエトはまだまだ」とタカをくくっていた各国チームにイヤというほどその力を見せつけた。まずヴァレリー・チガーノフがアスペン(USA)の滑降でソビエトチームとしてはワールドカップの初優勝を飾った。サンモリッツ(SUI)の滑降で4位、ウェンゲン(SUI)の滑降では5位に入っていたし、前年のレークプラシッド五輪の大回転で、ゴール前10メートルのところで転倒しなければメダル争いに入れるところだったから、この勝利は驚くほどのことでもない。

 このときソビエトチームを率いていたのはソ連体育大学を出てオーストリアへ留学したレオニード・チャガチェフである。選手も無名であったと同じように、監督もまた当時全く無名であった。したがってソビエト選手の活躍については、選手の生い立ちやトレーニング法、チームの運営などいろんな点が謎とされていた。夏の間カムチャッカやコーカサスで鍛え、シーズン近くなるとオーストリアの氷河で雪上練習を繰り返す。マケーエフがシュラドミングで3位に入ったときに言った「コーカサスやカムチャッカの急勾配の凍ったピステで練習する。トレーニングは非常につらく、大変な目にあう。レースの時の方がはるかに平和な気分だ」という言葉に、その猛練習ぶりが伺われる。チャガチェフ監督は少数精鋭の方針を貫き「良
選手を選びだし、その選手を徹底的に鍛え上げる方針で望んでいる」と自信ありげに語っていた。