MIKLAVC Andrej (SLO)
1970年6月5日 Kranj(SLO)生まれ
身長 186cm 体重 89kg

SKI: Mizuno →Völkl
BOOTS: Lange
BINDING: Tyrolia

※2001年引退

Schladming 98 Garmisch 95
Schladming 1998 SL/6th Garmisch 1995 SL/9th
ParkCity 96 Podium ParkCity96 SL/1st
Park City, 26,Nov,1995. SL/ 1st
Park Cuty 96 SL/1st Podium

MiklavcFace World Cup Ranking
General

1993/112th, 1994/106th, 1995/54th.1996/24th, 1997/43rd, 1998/44th, 1999/-, 2000/81st.
Special
1998 SL/11th
World Cup - 1 w. (1 SL)
1. SL: Park City 96.
4. SL: Sestriere 94
5. SL: Veysonnaz 96, Kranjska Gora 98, Kitzbuhel 98 I .
6. SL: Madonna 97, Kitzbuhel 97, Shigakogen 97, Schladming 98.
7. SL: Lillehammer 96.
8. SL: Kitzbuhel 95,
9. SL: Garmisch Partenkirchen 95.
10. SL: Kranjska Gora 96.

 1995年11月26日、パーク・シティ(USA)で行なわれたワールドカップ男子回転で、ミズノスキーを履くアンドレイ・ミクラウスは第2シードから快走、国産スキーとしては91年マドンナ・ディ・カンピリオ(ITA)回転で勝ったフィン・クリスチャン・ヤーゲ(NOR)以来2度目の優勝を飾った。
 2歳下の同僚ユーレ・コシールが常に陽の当たる場所を歩んできた選手なら、ミクラウスはその陰を地道に追いかけてきた選手といえるだろう。1987年にワールドカップにデビュー以来、少しずつ、しかし着実に力を付けようやく頂点に達した。95年2月、富良野のワールドカップ直前に膝の靱帯を切り、シーズン終盤を病院で過ごした。本格的にトレーニングを開始したのは10月に入ってからだった。パーク・シティの前、ビーバー・クリーク(USA)で行なわれた回転では、2本目途中まで良いタイムで来ていながらコースアウトした。「フィーリングはいい。次を見ていてくれ」そう言った彼だったが、その答えは優勝だった。
 「ミズノスキーチーム」監督の布浦和弘氏は「この勝利はミクラウスひとりだけではなく、彼にスキーを提供するミズノにとっても非常に大きな意味を持つ。ミズノのテクノロジーが世界に通用する証明になったのだから」と喜びを語った。
 1997/98シーズンのワールドカップ回転ランキングは11位、クラニスカ・ゴラ(SLO)で5位、シュラドミング(AUT)で6位、キッツビューエル(AUT)Ⅰで5位と安定した力を出している。