KRIZAJ, Bojan (JUG)

1957年1月3日 Trzic(JUG) 生まれ

SKI: Elan
BOOTS:Caber
BINDING: Marker


※1988年引退

Sestriere 85 Mont Genever 87

World Cup Ranking
General

1977/43rd, 1978/20th, 1979/8th, 1980/4th, 1981/6th, 1982/9th, 1983/10th, 1984/10th,
1985/12th, 1986/15th, 1987/9th, 1988/
Special
1980 SL/2nd, 1981 SL/3rd, 1986 SL/3rd, 1987 SL/1st,
World Championships
1982 Schladming SL/2nd, GS/7th
1985 Bormio SL/5th, GS/8th
1987 Crans Montana SL/5th
Olympic Games
1980 Calgary GS/4th
1984 Sarajevo GS/9th
World Cup - 8 w. (8 SL)
1. SL: Wengen 80, 81, Kranjska Gora 82,86, Markstein 83, Madonna 84, Bromont 96,
Kitzbuhel 87
2. SL: Madonna 79,85, Chamonix 80, Fyrano 81, Courmayeur 83, Sestriere 85,
Berchtesgaden 86, Hinterstoder 86, Sarajevo 87,
GS: Jasna 79, Heavenlly Valley 79, Val d'Isewre 79.
3. SL: Madonna 77,80, Furano 83, Taernaby 83, Kitzbuhel 84,85, Wengen 86,87,
GS: Kranjska Gora 78, Courchevel 79, Madonna 79, Morzine 81,

 ボヤン・クリジャイが最初にワールドカップのピステに姿を現したのは1976年12月だった。全く無名の選手がバルディゼール(FRA)の大回転でいきなり10位に入賞した。当時のユーゴスラビアからの初めての選手であった。たった一人で彼を連れて来たのは現在躍進を続けるスロベニアチームの総監督を努めるトニ・フォグリネックである。

 1957年オーストリア国境に近いトルチッチに生まれたクリジャイはその時19歳。リュブリアナ大学で職業スポーツ教師になるための勉強をしている学生だった。スキーだけが情熱を傾ける唯一のスポーツではなく、優れたサッカー選手でもあった。父親もスラロームの名手でその血を受け継いだ。

 翌1977年2月、富良野の回転で6位に入賞し技術系に着実に力を付け始めた。78/79シーズンはヤスナ(TCH)とヘブンリーバレー(USA)の大回転で2位に入ったが、ヘブンリーバレーでは1本目、7連勝中のステンマルクに1秒02差をつけてベストタイムを奪った。結局ステンマルクに逆転され2位となったが初勝利の近いことを予感させた。

 '79年12月、マドンナ・ディ・カンピリオ(ITA)でステンマルクに次ぐ2位に入ったクリジャイは、年が明けた'80年1月、ウェンゲン(SUI)の回転で、最も難しいと言われるクラシックコースでついに待望の1勝を上げた。ステンマルクを0秒17だけ抜いての初勝利である。表彰台の1段低いところにステンマルクがいた。柔和で静かな学生がユーゴスラビアに初勝利をもたらしたのである。'77年以来、クリジャイの活躍でスキーに対する予算も増えてきたユーゴスラビアだったが、この勝利で一気にスキー熱が高まった。

 現在スロベニアのトップスポーツは勿論スキーだが、このクリジャイの勝利がきっかけである。この年はブルガリアからきたペーター・ポパンゲロフも西ドイツ(当時)のレングリースで1勝を上げ、バルカンからきた選手に注目が集まった年でもある。ステンマルクの例を出すまでもなく、小国のウェンツェル姉弟(LIE)やツィーロフ(SOV)などのこのシーズンの活躍で、もはや大国主義の時代は終わりをつげ、個性の時代に入ったとまで言われたものである。大きな成功は大きなチームの所有物ではなく、大きなシステムを持った個性によってもたらされている。小さなチームの利点は、大きなチームよりも集中してトレーニングを積めることであろう。

 クリジャイは翌'81年のウェンゲンでも優勝している。この時2位に入ったのはマーク・ジラルデリ(LUX)でこれがジラルデリの初めての表彰台だった。ステンマルクは3位だった。翌'82年の地元クラニスカ・ゴラの回転でステンマルクを2位に従えて勝ち、そのほか'83年のマルクスタイン(FRA)、'84年のマドンナ・ディ・カンピリオ、'86年のブロモント(CAN)、同年のクラニスカ・ゴラ、'87年のキッツビューエルとワールドカップ回転で通算8勝を上げ、'87年には種目別回転のタイトルを獲得し、1988年をもって引退した