SKI&SKI Top
GIRARDELLI Mark (LUX)
1963年7月18日 Lustenau(AUT)生まれ
身長 178cm 体重 85kg
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SKI: Atomic →Dynastar →Blizzard
BOOTS:
Salomon →Lange →Nordica
BINDING: Marker


※1997シーズンを最後に引退

GirardelliKitzSL GirardelliMadonnaSL
GirardelliOppdalGS GirardelliSaalbachWMSL
GirardelliSestriereSL GirardelliVailWM_CSL
GirardelliWaterPod GirardelliWengenDH
1991 Overall, Kronberger(AUT) & Girardelli(LUX) Wengen 89 DH/1st

GirardelliOveral1
1993 Overall Champion
World Cup Ranking
General

1980/84th, 1981/26th, 1982/6th, 1983/4th, 1984/3rd, 1985/1st,
1986/1st
, 1987/2nd, 1988/5th, 1989/1st, 1990/25th, 1991/1st,
1992/3rd, 1993/1st, 1994/2nd, 1995/4th, 1996/22nd, 1997/115.
Special
1982 GS/3rd, 1984 SL/1st, 1985 GS/1st,SL1st,
1986 SG/3rd, 1987 SG/2nd, 1989 DH/1st,SL/3rd,
1991 SL/1st,GS/3rd, 1992 SG/2nd, 1993 GS/3rd,
1994 DH/1st,SG/2nd,.
World Championships
1985 Bormio SL/2nd, GS/3rd
1987 Crans Montana DH/7th, SL/3rd, GS/2nd, SG/2nd, K/1st.
1989 Vail SL/3rd, GS/4th, K/1st.
1991 Saalbach SL/1st, GS/5th,
1993 Morioka SL/2nd, GS/7th, K/3rd.
1996 Sierra Nevada K/1st.
Olympic Games
1988 Calgary DH/9th
1992 Albertvill GS/2nd, SG/2nd.
1994 Lillehammer DH/5th, SG/4th, K/9th.
World Cup - 46 w. (3 DH, 9 SG, 7 GS, 16 SL, 11 C)
1. DH: Kitzbuhel 89, Wengen 89-I+II.
SG: Madonna 84, Garmisch 85, Crans Montana 86, Furano 87,
Mt.Allen 87, Whistler 89, Val d'Isere 91, St.Anton 93, Wengen 94.
GS: Sestriere 84, Aspen 85, Sarajevo 87, Adelboden 89, 91,
Alta Badia 92, Kranjska Gora 92.
SL: Gallivare 83, Parpan 84, Kitzbuhel 84, 85, 91. Borovets 84,
Are 84, Oslo 84, Sestriere 84, 89, Bad Wiessee 85, Wengen 85,
Kranjska Gora 85, 89, Park City 85, Heavenly Valley 85.
K : La Vila 85, Morzine 86, Kitzbuhel 89, 91, 95, Wengen 89, 95,
Garmisch 93, St.Anton/Lech 93, Veysonnaz 93, 96.

 「不撓不屈の鉄人」「バイオレンスヒーロー」と呼ばれたマーク・ジラルデリは、ワールドカップ総合優勝を史上最多(男子)の5回獲得し、数々の伝説に彩られながら1997年2月に引退した。

 1985年からの世界選手権、オリンピックで4つの金を含む13のメダル、ワールドカップでの5回の総合優勝と46の勝利。オーストリアで生まれ、ルクセンブルグの選手として戦ってきたアルペン界の「伝説」マーク・ジラルデリが、1997年2月10日、ついに引退を発表した。33歳。過去13回に及ぶ手術を経験してきたマークであるが、今季12月、バルディゼール(FRA)の滑降で古傷の膝を負傷したのが、結局引退の引き金となった。

 「私としては次の長野オリンピックまで選手を続けるつもりだった。しかし、3人のドクターに診て貰ったのだが、みな『レース後の人生を考えるのなら選手は引退しなさい』と口を揃えて言った。私は非常にレースを愛しているからとても悩んだし、決意を固めた今でも残念に思っている。今季、確かに12月はあまり良くなかったけれど、1月にはきっと調子を取り戻せると感じていたんだけどね」。
 引退はどの選手にとっても決して逃れることは出来ない。ただここまで肉体を酷使し、ボロボロになるまで戦い抜いた引退があっただろうか──。レーサーとしての究極の生き方をそこに感じる。

 誰かが幸運にもマーク・ジラルデリの伝記を書く機会を得ても、そのたくさんの栄光、挫折、復活といったドラマをすべて書き尽くすことは容易ではないだろう。
 ただ、おそらくその書き出しはすべてこのようになるはずだ。
 “当時10歳の少年は、父親とともに世界ナンバーワンのスキーレーサーになることを決意した”と。

 人並み外れた運動能力を幼年時代より発揮していたマークの才能は、父ヘルムートの人生をかけた指導により、磨かれ高められていった。
 オーストリア、フォア・アールベルグ州・ルステナウで生まれたマークは、当初地域のジュニアスキーチームに所属していた。彼は子供たちを対象とした多くの大会で勝利を重ね、その才能は高く評価されていたが、彼の持つ独自性と、頻繁に顔を出してはコーチの指導に文句を言う父親ヘルムートの存在が、数々のトラブルをもたらしていた。
 そして、マークが将来のトップレーサーを育成するために組まれたコースにセレクトされたとき、彼はそれを拒否し、父に従い一人でトレーニングを行なう道を選んだ。だが、選手育成がシステマチックに確立しているオーストリアに於いて、ジラルデリ親子のやり方は認められるわけもなかった。様々なプレッシャーがかかり、結局ヘルムートはオーストリアを離れ、それまでほとんど機能していなかったルクセンブルグチームとして、何の規制もなく、親子で世界に挑むことを選んだ。マークが13歳の時だった。

 16歳ですでにワールドカップ総合の84番目に彼の名前を見つけることが出来る。そして'80年、ウェンゲン(SUI)のスラロームで初めてトップ2に入ったとき、マークは17歳だった。そのレースの優勝者は旧ユーゴスラビアのボーヤン・クリジャイ、3位には常にマークのアイドルだったスウェーデンのインゲマル・ステンマルク。マークは二人の間に誇らしげな顔で挟まれた。
 初優勝は'83年、スウェーデンのガリバーレで行なわれた回転。しかしそのわずか数週間後、レーク・ルイーズ(CAN)の滑降で初めての大きな怪我を負う。栄光と負傷、その後のレース人生を暗示させる展開だった。

 レーク・ルイーズで左足の靱帯を切ったマークは、ベイル(USA)のスポーツ専門医・ステードマンの手術を受ける。このときステードマンは、あまりに酷い怪我に、レースどころか再びスキーを履くことが出来るかどうかも疑問だったと振り返る。
 しかしながら9週間後、写真付きのはがきがステードマンの元に届いた。そこには片足だけスキーを履いたマークの姿があった。それも怪我した方の足にだ。
 「私は目を疑った。彼の回復力はこれまで私が出会った誰よりも素晴らしかった」。
 以後もマークはステードマンに3度の手術を受け、二人はすっかり友人になった。それはつまり、それだけ怪我の多い選手であったことを物語る。

 かつてマーク・ジラルデリは「私は外科医になるべきだった。何故なら、人間の体の筋肉や骨格の構造、そして靱帯も、怪我を重ねる内に詳しくなったからね」とジョークを言った。これまで誰よりもたくさんの怪我を負いながら、強靱な意志と体力でそれを乗り越えてきたジラルデリ。その不屈の精神力には本当に頭が下がる。

 もちろん彼とて人間。リハビリはいつも辛いものだ。特にレーク・ルイーズの転倒で膝のほとんどすべての靱帯を切ってしまったときは「思い出したくない。ただ、自分を信じることで乗り切った」と、言葉少なに振り返る。
 彼がスターダムにのし上がったのは'84年のこと。スラロームで5勝し、一気にトップ選手の仲間入りを果たした。そしてこの活躍は、出場できなかったサラエボ五輪への「復讐」でもあった。これは、移住者に対し、25歳まで市民権を与えないという当時のルクセンブルグの法律によるもの。反逆の精神こそ、常にジラルデリのパワーになってきた。

 その後ジラルデリはピルミン・ツルブリッゲン(SUI)というまたとない好敵手と出会う。二人のオールラウンダーが、互角の力で、これだけ長く競い合ったことは白いサーカスの歴史の中で初めてのことだ。
 そして'89年、彼は5種目制覇の偉業を達成しながら、セストリエールのスーパーGでまたも大クラッシュ。このときはさすがに引退も考えたという。しかしカムバック。'91年ザールバッハ世界選手権スラロームで金、ワールドカップでは4度目の総合優勝を達成した。その後総合優勝の記録は前人未踏の5にまで伸ばしている。

 そして今季、ジラルデリはバル・ガルデナ(ITA)の滑降初戦で57位になったとき、家に戻って休養して、再び痛み出した膝のチェックをした。結果は1月のレース禁止。セストリエールでの復活を期したが状況は改善せず、そのまま引退を決意した。

 彼の素晴らしいレース人生にあらためて敬意を表したい。


 マーク・ジラルデリ。ワールドカップ総合優勝5回、通算46勝(歴代3位)、世界選手権の金メダル4個、銀メダル4個、銅メダル4個、オリンピック銀メダル2個。1シーズン5種目優勝を達成(1998/99)。

Biorama Basel